第1回世界会議(1996年)

第1回「子どもの商業的性搾取に反対する世界会議」1996年8月27~31日

世界会議の背景

 1996年8月27~31日スウェーデンのストックホルム市で、子どもの商業的性搾取・虐待根絶をめざす初めての世界会議が開催されました。政府とNGOが同等の立場で出席するという、これもまた初めてのかたちを取り、119か国の政府代表とNGO、20の国連・国際機関を合わせ全体で約130か国1300人(報道関係者を入れると1700人)となりました。日本からは、政府代表団として清水澄子議員、省庁から外務・厚生・警察・総理府男女共同参画室の計8名。NGO代表としては、「ストップ子ども買春の会」などECPATグループを中心に9名が参加しました。
 この世界会議は、90年5月のチェンマイ会議(「婦人新報」90年8月号参照)の決定により翌年から始まったECPAT(アジア観光子ども買春根絶国際キャンペーン)が6年間の活動の蓄積の上に開催を呼び掛けたもので、要請に応えスウェーデン政府・ユニセフ・子どもの権利条約に関わるNGO等が協力して実現しました。
 国連人権委員会へのノルウェー政府の93年報告によっても、今や毎年、世界中で100万人以上の子どもたちが「買春」、「ポルノグラフィー」、そして「性目的のための人身売買」の犠牲となっています。またECPATの調査では、アジアだけでもこの数に近い子どもたちが、商業的性搾取に巻き込まれ、日々虐待され続けていると報告されています。
 「現在、子どもの商業的性搾取という恐るべき問題から逃れられている国は1つもない」―会議の前半2日の間に発表された政府代表による声名では口々にこの問題の存在を認め、取り組みの緊急性が訴えられました。その中で、会議直前に明らかになったベルギーでの性搾取目的の少女誘拐殺人事件の犠牲者に対しては、会場から深い哀悼の意が表されました。各国政府の内、買春被害国のフィリピン・スリランカ・台湾・タイを始めとして、加害国のドイツ・オーストラリア・アメリカ・ニュージーランド・スウェーデン・ベルギー・イギリスなどここ数年間に法改正や法の執行強化等の施策を進めてきた国は、その具体的な改善内容を挙げ発言していたのに対し、対策が遅れている国の声明は抽象的でした。

日本政府のかかわり

 この会議に出席することすら、私たちNGOや女性議員の強い要請にも拘わらずぎりぎりになってから決断するほど自覚のなかった日本政府の声明は、残念ながら後者に入りました。94年の「子どもの権利条約」批准に際して、第34条子ども買春・ポルノ問題に関する国会質問があった折も“すべて条項は担保されている”と一切の法改正をせず、また実態調査にも消極的な態度でここに至っているのが現状ですから、それは当然だったかと思います。政府声明のポイントは3点①子どもの人権に対する認識の社会への浸透②法及び規則に基づく効果的な取り締まり③被害に遭った子どもの保護とリハビリで、特に②の字句に関しては、法務省を中心に「改正」「法整備」の言葉を入れない旨の申し合わせが日本であったとのこと。そうしている間にも被害に遭い、虐待され続ける子どものことをどう考えているのか、と怒りと共に情けなさがこみ上げました。
 ただ今回の政府代表団で良かったことは、以前から子どもの権利条約や子どもポルノ問題に関心をはらい国会質問等をしていた女性議員が団長となったことと、窓口となった外務省がNGOと話し合う場を会議前・中に設定しNGOから意見を聞こうとする姿勢が幾分見出せたということでした。

日程・内容など

 会議の日程では、各国政府代表による声明とECPATやユニセフ等の基調報告に続き、第3日目に「宣言及び行動綱領」の採択がありました。この世界会議に先立ち、世界を6ブロックに分けた『地域準備会議』が開催され(「新報」96年6月号参照)、そこでの地域ごとの実態と取り組みの報告に基づいて今会議の宣言案が作成されていることも特徴の1つでした。
 「貧困は問題の背景にはあるが、子どもの性搾取の正当化の理由には決してならない」こと、買春者を含む性的搾取者の分析と厳しい法的対処の必要性、子どもの癒しが強調されました。
 29、30日の2日間は、子どもの性搾取を根絶させるために必要な9テーマに関するパネルと、各分野ごとに細分化された50以上のワークショップが開かれました。9つのテーマとは①法改正と法の執行強化、②性的搾取者、③ポルノグラフィー、④防止と社会的心理的リハビリ、⑤健康問題、⑥教育、⑦観光と買春、⑧メディア、⑨人間の価値観。

ポルノグラフィー

 この中で特にポルノグラフィーの問題については、日本が他の先進諸国に比べ認識・対策とも遅れており、そのため子どもポルノ制作・販売の主要基地という危機的状況にあるということで事前に報告要請を受け、私がパネラーの1人として発表しました。矯風会が95年から96年に全国30の市町100以上の書店を中心に行った調査の結果全体の96~97%に子どもポルノが置いてあるーや、ストップ子ども買春の会が行った警視庁・都の青少年課・出版自主規制団体等への子どもポルノ摘発、要請行動の結果わかったことー公序良俗に基づく現行法制下では子どもへの性的虐待の永続的描写であるポルノから子どもを守れていないー事実報告が主なものでした。資本・流通・ハイテク技術が進んでいる日本で、適切な法整備がこれほど遅れているとは、驚きと共にどよめきが会場に起こりました。

メディア

 また「メディア」に関しては、一方でニュースやドキュメンタリーを通じ虐待された子どもや虐待者の話を伝えながら、他方ではその報告や広告の中で、性的で挑発的な子どものイメージをつくり出し、ひどい場合はポルノグラフィーそのものの展示やペドファイル(小児性虐待者)組織、セックスツアーのための情報源となっていることが指摘されました。
 日本の場合、この点でメディアがかなり否定的な役割を果たしてきており、スポーツ新聞や週刊誌の直接的な買春情報は言うに及ばず、たとえ記事が買春に批判的な内容であっても、そこで子どもが性的に虐待されている写真や映像が何の配慮もなく掲載・放映されている現状があります。顔や体をさらけ出された子どもにとっては、それがまさに2次的虐待であり、自分が撮られたポルノが存在し、買春者の視点で見られ続けることが子どものトラウマ(精神的外傷)を深めています。
 一方で、メディアはこの問題を根絶する重要な役割を担っていることも想起されました。オーストラリアでは、ジャーナリストが撮った1枚の写真が大きな世論を喚起し、約1年で法改正が行われるきっかけとなりました。

観光と買春

 『観光業者』やメディアを含むほとんどのビジネスセクターが「性搾取者」の片棒を担ぐ中、子どもたちは、ほとんど性産業の本流に巻き込まれ、最も劣悪な環境の下で最も多くの客をとらされる安い買春市場へと追い込まれています。子どもたちを虐待する者の中には思春期前後の子どもを特にターゲットにするペドファイルも当然入りますが、年間を通して18歳未満の子どもを虐待し続けている最大のグループは、24歳でも14歳でも構わないとする無関心・無自覚な何百万人もの買春男性です。職業も軍兵士、ビジネスマン、公務員、教師、医師、トラック運転手・船乗り等の移動労働者と、多岐にわたっています。

子どもの人権

 子どもへの性的虐待行為を正当化し合理化するために、加害者は必ずといって良いほど意識的歪曲の論理を使っています。“子どもは何もわからないから、こんなことをしても傷つかない”“この国では子どもとセックスしてもいい、そういう文化なんだ”“金やものを渡して助けてやっている”“悪いのは子どもで、子どもの方から誘ったのだ”。このような加害者側の論理がどこかで社会の「価値観」として受け入れられていることが、子どもへの性的虐待を拡大させてきた要因の1つです。警察が取り締まるべきは買われている子ども(犠牲者)ではなく、買春者(性的搾取者)なのです。
 いったん買春やポルノの対象にされ虐待された子どもたちの「健康問題」は大きく一生にわたり、また命にも関わる状態になっています。
殴打されたり、性器に物を入れられたりした障害、早期妊娠、出産に伴う死亡、発達の遅れ、エイズを含む性感染症等さまざまな身体的傷に加えて、心の傷は深刻です。子ども時代を奪われ、人間としての尊厳を押しつぶされてしまうがゆえに、他人と結ぶ人間関係が破壊され、自分は恥ずかしく、汚れてしまった価値のない人間だという絶望感の中で、麻薬に手を出したり、自殺へと追い詰められていきます。
 このような子どもたちには助け出された後、家族や地域への復帰の前に、第1に自尊心と自己価値を取り戻すための「リハビリテーション」―回復と癒しという意味でのヒーリングーが必要であり、それと平行して再発を防止するための家族と子どもへの心理的社会的両面でのケアが必要です。すでに行われている欧米での経験を参考にしながらも、アジア的家族関係・共同体意識など、地域文化に配慮したそれぞれの取り組みが求められています。
 子どもを売り買いしてもはばからない価値観、被害者の子どもを犯罪者として扱う警察・行政・・・これら子どもの商業的性搾取の構造を根底から変革していける可能性のある手段が、「教育」です。「子どもの権利条約」の内容が実体化されるための警察・司法担当者、子どもと接する行政官へのトレーニングを始めとして、家族や地域共同体に対する事実の伝達を含む教育です。子どもの尊厳と命が利用され貶められることのない価値観、態度、生活技術、行動を創り出し打ち立てていく教育への着手こそが鍵となります。

子どもの叫び

 「まず、私たち子どもの声を聞いてほしい。そして聞くだけではなく、行動してほしい!」こらは会議の最終日に、自らストリートチルドレンであった男女の子どもたちが、会場に集まった大人たちに対してーその大きな瞳に涙を湛えつつ、しかし毅然としてー語った言葉です。 
 私たち大人は、そして日本は、彼らの叫びに対し、どう応えるのでしょうか。