チェンマイ会議(1990年)
1990年5月1日~5日の5日間、タイ北東部にある古都チェンマイのYMCAにおいて、15か国68名が参加し「観光と児童買春」に関する協議会がもたれました。主催の第三世界観光問題エキュメニカル連合(ECTWT)は世界教会協議会(WCC-国連NGO)の観光問題に関する仕事を引きついで1982年に発足した団体です。アジアをはじめ第三世界のほとんどのキリスト教協議会(CCA、PCC、AACC他)がメンバーとなり、それに北米、ヨーロッパ、日本などの人権擁護団体が協賛しています。今回は国連のユニセフからも代表が出席しました。
アジアで観光による児童買春が特に深刻な影響を及ぼしているタイ、スリランカ、フィリピンの活動グループからは次のような現状報告が行われました。
タイの状況
売春させられている子どもの数はNGOの調査で20万人(女性の友)とも80万人(児童の人権擁護センター)ともいわれています。そのうち女の子が90%。これまで多かった15歳前後から13歳以下の子どもへと急速に低年齢化が進んでいます。その最大の理由は、外貨獲得を目的とした60年代からの政府による観光推進政策であり、それと共に増殖してきた性産業の大宣伝の結果、日本人、ドイツ人をはじめとする買春観光客が急増したことにあります。外国人観光客のために、また彼らによって「供給を減らされた」タイ人男性のために、バンコクから他の地方へ、タイ人から山岳少数民族、ビルマ人、ラオス人へと、誘拐・略奪を含む”少女狩り“の手が広がっています。今や多くの村には仲買人がいて、わずかな前金と引き替えに娘たちを連れてゆく構造があります。借金と貧しさのために、ときには家の建て替えや消費財の便利さを手に入れるために、女の子が村から姿を消してゆくのです。
いったん買春屋に売りとばされた子どもたちは、男の子の場合は同性買春客の相手をさせられるがゆえに、女の子の場合は、年齢が低いほど安い値で売られ、より劣悪な環境で船員や麻薬常用者の相手をさせられるがゆえに、共に高いエイズ感染の危険にさらされます。
最近チェンマイでは、住民の怒りと非難の声をよそに、日本人によるカラオケバーやクラブ(=買春あっせん場)、リゾート用の土地買占めが進められており、そのために土地を失う村人がさらに増加しています。「JALでやって来て、日本人がオーナーのバーやゴルフ場で女を買い、日本資本のホテルに泊まって帰ってゆく」そういう日本人が、今タイで一番多い買春客なのです。
スリランカの状況
悲惨な少女の売買春は昔から存在しています。しかし、スリランカの児童売買春は今90%が男子です。管理組織のもとで売春させられているのは約1万人、その他にリゾートの海岸やホテルの回りに立つ8歳から16歳ぐらいまでの「ビーチ・ボーイ」と呼ばれる男の子たちはかず知れない。
処女性が強調され行動が大きく制限される女の子に対し、男の子は夜出歩くことを含めて大幅な自由が認められ、他方外でお金を稼ぐことを期待されるという文化的・社会的背景が存在します。これに60年代半ばからの政府によるリゾート開発をはじめとした国際観光政策が相俟って、多くの観光客と共に、子どもを主なターゲットとするペドファイル(=小児性虐待者)が次々と入って来ました。観光事業の伸びが最高を記録した80年代初め、少年の間でこれまでになく性病が蔓延し始めました。ペドファイルたちはビーチや「ゲストハウス」と呼ばれる安宿で、また数か月~1年にわたって借家に住み、そこへ子どもを集めて菓子や衣服を与え、信用させた上で性行為をせまるのです。
子どもたちは直接的な買春の相手をさせられるほかに、ポルノ写真の対象としても使われます。欧米で有名なペドファイル、ホモセクシャルの雑誌「スパルタクス」に何年間にもわたってスリランカ少年のポルノがのせられ、新たな買春者を呼び寄せるための宣伝材料としてバラまかれていました。
子どもたちは性的にだけでなく、経済的にも搾取されています。子どもが与えられるお金は1日平均1ドルであり、ビーチボーイたちの1か月の収入は25ドルにすぎません。
ペドファイルに気に入られ、その相手として生活ができるのは10歳前後から14-5歳までの数年間だけで、16-7歳になるとほとんどが捨てられます。売春以外の生活が身についていないために、その後はより若い子どものヒモになったり、強盗・麻薬などの犯罪に走ってゆく場合が多くあります。民族紛争による内戦状態にあるため、こういう実態を国内で発表するのは命がけです。
フィリピンの状況
オロンガポ、エルミタ、マニラ、パグサヤンなど兵士と観光客がいるところどこでも児童買春があります。ユニセフの発表では、フィリピンで売春させられている子どもの数は2万人。そのうち男の子が60%、女の子が40%です。
世界で3番目に大きな対外債務をかかえる政府は外貨獲得手段としての観光推進政策をしき、口では違法と言いつつ実質的には性産業や買春ツアーを助長させてきた。全土に及ぶ“全面戦争体制”が多くの国内難民をつくりだし、都市に流れついた子どもたちはストリート・チルドレンとなって容易に買春の餌食にされてゆくのです。
ソーシャルワーカーが行ったある聞き取り調査によると、763人のストリート・チルドレンのうち30%は直接の家族や親戚のだれかに強姦された経験があり、残りの70%も知り合い、雇用主、仕事仲間などのだれかに強姦されたか、強姦されそうになった経験をもっていることを示しています。そして性的虐待を経験した子どもの60%が売春に関わっているのです。いったん売春をはじめたこどもたちは、自尊心を失い、精神的にも打ちのめされて自暴自棄の中、家族や自分の日ごとの糧のため売春を日々の生活としてゆきます。12歳の少女ローズは買春客によって何か月もの間体内にバイブレーターを入れられ、それがこわれて残った破片のために地獄のような痛みと苦しみの中で死んでいかねばならなかったのです。ローズの生と死は多くのストリート・チルドレンの状況を映し出しています。フィリピンで最も多い児童買春者は欧米の白人男性であり、次が日本人男性です。
インドの状況
この3つの主報告の他に、インドと台湾からも報告がありました。インドでは児童労働が4千5百万~5千万人といわれ、売春婦全体のうち控えめにみても20%は未成年であること。近隣のバングラデシュ、パキスタン、ネパールの子どもを巻き込んで児童の売買は非常に構造化・組織化されていること。2-14歳でとつがされる幼児婚では、年齢の離れた夫が死亡すると“未亡人“となった少女はその家から放り出され、生家にもどれずに売春婦になってゆく例。また一定年齢に達した女の子を寺の下働きに出すヒンズー教のダバダシスという宗教的しきたりの陰で、少女への性的虐待が行われ、それが原因で売春婦に貶められてゆく例も多いことなどが掲げられました。
台湾の状況
台湾からは、たぶらかされたり借金のかたに売られることの多い山岳小数民族・農村部の少女たちを売春状況から救い出し、精神的・社会的回復をはかる目的で1986年。長老教会がスタートした「レインボー・プロジェクト」と、超党派で運営している「希望の園・回復訓練センター」の紹介。その中で、少女たちは監視のもと1日に30~40人も客をとらされ、逃げようとすればひどい暴行を受けること、お金はほとんど少女たちの手には渡らないこと、ある温泉場では買春客の80%が日本人男性であること、などが報告されました。
決議など
こうした報告をもとにして状況分析や具体的方策が話し合われ、買春客はすべて潜在的なペドファイルであること。自国では違法の児童性虐待を貧しい国の弱みにつけ込んでやっているペドファイルの名前リストを公表し、二度と入ってこられないようにする等の案も出されました。会期の最終日には、国際的な「反買春観光・児童買春撲滅キャンペーン」のための実行委員会が組織され、また1994年の国連「国際家族年」へむけて、各国における児童買春の規模とその社会的・文化的要素を含めた背景、子どもおよび買春者に関する心理学的側面からのち調査・研究を進めてゆくことを決議しました。
何百万もの子どもたちを日々奴隷化している児童買春の深刻な状況について、最大の買春者送り出し国である日本の私たちはあまりにも知らなすぎること痛感しました。